今年も変わらず、ヒロシマの日がめぐってくる
今日この日に、広島に足を運べた
何度も来てはいるが、8月6日に来れたのは人生で初めてのことだ
昨年まで夏が一番忙しい仕事(子どもの自然体験教育キャンプ)をしていたからだ
この立場になってからの平和祈念式典(原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)
会場には多くの国会議員がいたが、私は入らなかった
会場に入れない多くの人たちと一緒に、地べたに座った
風もミストもない場所に座り、汗だくになりつつも食い入るようにモニターを見つめる人びと
若い世代や、障がいを抱える人、そして外国人のなんと多いことか
80年前の今日も、こんなにも暑く、そしてこんなにも無力感に襲われる夏だったのだろうか
国が強くなろうとするとき、そして国が大きな危機に直面するとき、常に犠牲になるのはより弱いものだ
戦争の本質は、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」だろう
今日の黙祷は、けっして原爆で命を絶たれた人びとへの想いだけではない
度重なる自然災害で被災した人びとへの想い
声を上げても上げても政府に届かないと、あきらめが支配しそうな沖縄の人々の想い
政府の失敗政策で、物価高にあえぎ、社会補償が細り、コメ騒動に直面する、怒りに満ちた市井の人々の想い
ウクライナやガザ、ミャンマーで、「生きたい」と願いながら絶望している子どもたちへの想い
そして、いままた繰り返される「負の連鎖」におそれおののく弱い立場の人びとや地域へ、
もう一度想いをめぐらす契機にならなければならない
昨夜遅く広島入りして、平和祈念資料館を再訪した
リニューアルしてからは初めてだったが、若い外国人の多さに驚かされる
もっと驚いたことがある
それは、ほぼ全ての外国人の若者が、展示を見ながらすすり泣いていることだ
自国主義、排外主義が世界を覆い始めている中で、一縷の希望を感じた
世界は平和を求めている
次なる世代は核なき社会を希求している
日本においては、戦争を知らない世代に置き換わるのは時間の問題だ
その世代とりわけ子どもたちの未来をどう考えるのか、彼らの未来を私たち大人がどう語るのか
未来を生きるこどもたちに、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」を断ち切るために、何を語ることができるのか
今朝、式典会場の外、むせかえる混沌の場で、世界中の若者たちと共に黙祷をしながら、そんなことを強く想った
世界中から次の世代の希望が集まった
無力感に陥ってる場合じゃない
あきらめてる場合じゃない
2025年8月6日 辻英之



