【辻語り】32年前の過疎の村で出会った“守ってくれた人”へ

北陸福井にいます

今、南信州泰阜村の方向を眺めて、合掌しました

ここからは、よくある訃報の報告です

興味ない人は読み飛ばしてください

私は大業卒業した1993年3月に、長野県泰阜村(やすおかむら)に移住した

当時の人口2,300人(今は1,400人)

国道も信号もコンビニもない村である

今は、若者が過疎地に移住すると大歓迎される時代だ

しかし、当時は「怪しまれる」時代だった

32年前、私は招かれざる客だった

そんな時、私を理不尽な攻撃から守ってくれた

時には厳しく私を叱ってくれた

村内で数少ない専業農家として、私のコメ作りを指導してくれた

イノシシ害に悩む私を救ってくれた猟師でもあった

そんな人の葬儀が今日、営まれた(写真中央)

2019年7月5日のSNS投稿を、以下に転記する(写真も)

「雨で田んぼの水路に土砂が流れ込んだ。というかほぼ災害。まったなしの状況に、一緒に水路を使う農家のおじさんと出労する。涙が出るような重労働だったけれど、なんとか応急処置ができてよかった。それにつけても、猟友会の会長でもあるおじさんのすべてがシブイ。いろんなことを教えてもらい、一緒に働けて実に楽しかった。土に生きるってのは想い通りにならないことばかりだけれど、それを楽しもうと想えば豊かな生き方になる(←半分ヤセガマン)。」

そしていつもいつも「辻くん、そんなんじゃ入らんなあ(杯にまだたくさん酒が入っていて、酒が注げないということ、つまり“飲め“ということ)」と、私を最後の最後まで飲ませる人だった

自治会の忘年会で、次から次へと酒を注ぐ彼に「死ぬほど飲んでます」と言ったら
「まだ死んでないからあんじゃあねえ」(「あんじゃねえ」とは大丈夫だという意味の方言)と返されてまた飲まされた

そんなことを今、ゆっくりと想い出していたら、涙が溢れてきた

今年の5月連休に泰阜村に一瞬だけ足を運んだ

家に立ち寄ると、いつもの人なつっこい顔で、私の当選をことの他喜んでくれた

「過疎地のために必ずお役に立ちます」と握手して別れたのが最期になった

葬儀に行きたかったが、行けません

遠くからの合掌でゆるしてください

でも、74歳はちょっと早いでしょう

コメもクマも危機の今、まだまだあなたが必要でしょう

32年後には、そっちに行くかもしれません

その時は、また飲みましょう

合掌

2025年11月8日  つじ英之

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