【辻語り】被災地の子どもたちに贈る唄

私は32年前、長野県の小さな山村:泰阜村に移住した
当時まだ22歳
右も左もわからない若造である
それまで札幌という街で大学生だった

出身は福井県
高校から大学のときに、北陸から北海道へ
何が自分を北に向かわせたのだろうか

北陸と北海道で、私は、あふれるほどの自然の恵みと、すばらしいひとびとに出会った
体育会の運動部に所属して「あきらめない気持ち」を鍛えられた
人と向き合うことを学問とする学部で「人間らしさとは何か」を学んだ(授業は全く出てなかったが!)
北海道の山々や田舎を訪ね歩きながら「自然と人間の共生」の重要さを心に刻みこんできた

いつしか、自分が学び取ったことを、未来を生きるこどもたちに、自分のすべてを懸けて伝えようと思うようになる
そして、体育の教員となることを目指すことになった

しかし、教室の中だけが教育の場だろうか、と疑問に思い、まずは教室の外の学びの場を経験したいと強く望んだ
その時に出会ったのが、信州の泰阜村だった

32年前に、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと生活し始めたが、その当時からよくギター片手にこどもたちと歌っていた
それまでは、どちらかというとニューミュージック系の曲ばかり弾いていたが、泰阜に来て衝撃的な唄との出逢いがあった

私の先輩であり当時代表の村上忠明さん(キャンプネームはむさし)がよくこどもたちに弾いたり、何気なく1人で弾いたりしていた曲に惹きつけられ、以来「これだ!」と自分でも弾くようになった

当時の信州こども山賊キャンプに来ていたこどもたちに向かって、キャンプ最終日に必ずこの唄を歌い、その想いを伝えてきた
当時、暮らしていた「暮らしの学校:だいだらぼっち」のこどもたちも耳にタコができるほど聞いたことだろう
そして、薪ストーブを囲んでいつもこどもたちといっしょに歌っていた
私は自分の息子の子守唄としても歌ってきた

その唄を紹介したい


生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう

生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう
近づいてごらんなさい りんどうの花があるでしょう

生きている君たちが 生きて走りまわる土を
あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう ♪

曲名は「私のこどもたちへ」という

このかけがえのない自然を、次の世代まで残せるのだろうか
いや、残すのがわれわれ大人の責任で、その気持ちや自然の大事さをこどもたちに伝えたいと一所懸命歌ってきた

今日、3月11日、東日本大震災から14年

東北のこどもたち、そして熊本のこどもたちを、泰阜村で開催される信州こども山賊キャンプや暮らしの学校「だいだらぼっち」に招待し続けてきた

私は、その泰阜村に30年住んだ大人として、この唄をどうしても「きみたち」に贈りたい

泰阜村に来て、震災であれだけ猛威をふるった自然が、本当はとてもすばらしいものだということを、その小さな身体に刻み込んでいってもらえただろうか
泰阜村に来て、これからどんなに過酷なことに直面しても、生き抜くための「支え合いの気持ち」を、その小さな心に刻み込んでいってもらえただろうか

「きみたち」が過ごした泰阜村の土には、このきびしい山岳環境のなかで支えあいながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの、自然と共存する壮絶な歴史と日々の暮らしの営みが流れている
その歴史と営みを受け取った「きみたち」は、きっと強くなれる
そう強く信じている

今、「きみたち」はもう大人になっていることだろう
今、能登半島のこどもたち、そしてまた東北大船渡のこどもたちが苦しんでいる
「きみたち」が能登や大船渡のこどもたちを支える時が来ている

そして今、私は故郷の福井に戻った
北陸福井選出の国会議員として、先日視察に行った能登半島にも責任をもって向き合う
毎年3月11日は、東北の被災地にいた
今日は、国会質問の準備もあり叶わなかった
来週に、福島に行く

東日本大震災14年の日
すべての被災地のこどもたち、そして全国のこどもたちにこの唄を贈る

2025年3月11日  つじ英之

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